2015年8月17日月曜日

新井満さんの書いた、「自由訳 老子」と、千賀一生さんの書いた、「タオの法則」を読んで、即書感想を書きました。

新井満さんの書いた、「自由訳 老子」と、
千賀一生さんの書いた、「タオの法則」を読んで、
2011年8月、私は下の通り。即書感想を書きました。
写真は、千賀一生さんの「タオの法則」の、
表紙を、撮ったもの。
 
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読書感想文(自由訳 老子・・・新井満)
     (タオの法則・・・千賀一生)
 
<新井満さんは1946年、新潟市に生まれ、
<新潟明訓高校、上智大学に行きました。
<卒業してから電通に行き、
<多くのCMソング等であたりますが、
<本も書き40歳ぐらいで野間文芸賞、
<芥川賞ももらっています。
 
<2001年には「千の風に乗って」を書き、
<私でも知る人になりました。
 
新井満さんは1946年、新潟市に生まれ、
新潟明訓高校、上智大学に行きました。
上智大学では、グリークラブ(男性合唱団)に入りましたが、
病気退団しています。
なるほど、若い頃から歌が上手くて、
男性合唱団を志向していたのも分かりました。
 
卒業してから電通に行きます。
電通は広告業界では最大手ですから、
そのなかで闘ってきたのを知ると、
やっぱり新井満さんは若い時から、
只者ではなかったのだろうと私は思いました。
 
1977年、カネボウCMソングとして自ら歌唱した
『ワインカラーのときめき』
(作詞:阿久悠 作曲:森田公一)がヒット曲となります。
 
これは30歳のときですから、
新井満さんはこのときから凄い人だったのですね。
阿久悠とか森田公一と言えば、
私たちの青春時代を彩った人達ですし、
こういう人達と一緒に、
新井満さんが仕事をしていたのは凄いと思います。
 
私はこれらの人々には、
不思議な(特別な才能をもった)人達で
まったく分からない人という、印象を持っていましたから。
 
1987年には『ヴェクサシオン』で
第9回野間文芸新人賞、
1988年の『尋ね人の時間』で第99回芥川受賞。
新井満さんは都会生活を営む現代人の心象を、
詩的な物語性によって繊細に描く作風と評価されています。
 
私たち凡人から見ると、
昔から新井満さんも不思議な人なのですね。
エリートの塊のようにも見えます。
 
そして、2001年には「千の風に乗って」を翻訳し、
新井満さんは私でも知る人になりました。
この曲は秋川雅史、加藤登紀子、スーザン・オズボーン、
新垣勉、ウィーン少年合唱団など
プロの歌手たちにカバーされ、
100万枚を越える大ヒットとなっています。
 
同曲によって2007年には
49回日本レコード大賞作曲賞を受賞。
ラジオドラマ、テレビドラマ、劇映画にもなりました。
 
「私のお墓の前に佇み泣かないで、私はそこにいないから」。
なるほど納得してしまいます。
やっぱり新井満さんは、
私などから見ると特別な感性を持って、
人を動かしている人なのですね。
 
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<千賀一生さんは、今40代の人なのでしょうか。
<1960年ごろ生まれた人? 舞踊家です。
<20代のころから、数々の神秘体験も経験し、
<本もいくつか書いており、それらは面白いです。
<私も去年この人の「ガイアの法則」を読みました。
 
千賀一生さんは、今40代の人なのでしょうか。
1960年ごろ生まれた人? 舞踊家です。
少年時代には、身体感覚を大事にする行法で
自分の能力を向上させたことがありました。
先住民、少数民族の舞踊との出会いも経験しています。
 
巫女舞踊等の古代宗教舞踊などにも
関心を持ち続けて来ました。
何故か私は千賀一生さんに、神道の「魂振り」を感じます。
「魂振り」で踊って身体を動かすと、精神が新しい
今までの世界から超越したものを感じるのでしょう。
 
そういうことを、千賀一生さんは感じていると思います。
2009年には、
舞踊集団ダンス・イン・ワン(わの舞)を創始しました。
 
20代のころから、数々の神秘体験も経験し、
本もいくつか書いています。
私もこの人の本「ガイアの法則」を本屋でみつけ、
買って読みました。
 
唐突なことが書かれていましたが、
私はなぜか素直に読んでいます。
唐突ですが、何かそこに真実があるような気がしたのでした。
 
「宇宙は円(スピン)と中心という、
たった1つの原理から生まれる。
宇宙の法則も、人生の法則も、
すべてはこのたった一つの原理に集約される」という
言葉が、千賀一生さんからのメッセージです。
 
それは、「ガイアの法則」という本の
主要テーマでもありました。
 
私はそのとき、「この宇宙は何なのだろうな」と
考えていたので、直感的に本が扱っている
このスピンという言葉に、
「宇宙は何か」を知る(解決する)
キッカケがあるかも知れないと、思ったのです。
 
「ガイアの法則」にはいろいろなことが書かれていて、
大部分について私は消化不良だったのですが、
そのなかでもスピンの概念は、
私には消化仕切れませんでした。
 
この空間は3次元で時間が流れているから、
4次元時空間連続体とも言います。
そこにスピンの概念が入るとスピンする向きで3次元、
スピンの速さで1次元、
全部で「スピンは8次元かな」などと、空想しました。
 
複素数は、電気の交流を表わすのに使われており、
この電気の交流はスピンも表わしています。
サイン・コサインもスピンを表わしています。
角速度。
 
複素数の虚数iは
「霊を表わしている」などと言う人もいます。
スピンに関する空想は、どんどん広がりましたが、
結局、私はスピンを分かりませんでした。
 
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<道教(老荘の思想)、儒教>
 
中国の教え(思想の潮流)には、道教と儒教の2つがあり、
いずれの時代にもそのどちらかが勢力を持っています。
漢の時代には儒教が、唐の時代には道教が優勢でした。
 
孔子が作った儒教は、有名です。
孔子は紀元前500年前後に生まれ・生活した人でした。
道教の、老子の生年には諸説ありますが、
老子は多分孔子と同じ頃の人ではなかったと言われています。
 
その根拠は、紀元前100年の漢の人「司馬遷」が書いた
「史記」に記載されたもの(史記には、
老子の人となりについて3つの説が書かれていますが、
その第1の説では
老子は紀元前500年前の人になっています)でした。
 
儒教の故事来歴はハッキリしています。
その教えを要約すれば、
「修身、斉家、治国、平天下」をめざし、
「5常(仁、義、礼、智、信)」により、
「5倫(父子、君臣、夫婦、長幼、朋友)」関係を
維持することなのでしょう。
 
孔子が語ったことをまとめた論語で、
大部分の日本人が儒教を知っていると思います。
正月の書初め等で書いた「十有五にして学に志、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
六十にして耳に随って則を越えず」
 
「少年老い易く学成り難し」
「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」などで、
私たちは儒教(孔子)の言葉を知りました。
 
儒教は江戸時代、「寛政異学の禁」で
その1つの流派である、朱子学が幕府の教学として、
奨励されています。
そのため寺子屋などの勉強を通じて、
儒教は日本中全体が知るものとなりました。
 
江戸時代、「子(孔子)のたまわく・・・」が
あちこちの寺子屋等で聞かれたのです。
 
道教は、老荘の思想として有名です。
老子、荘子の思想ですね。
老荘の思想の一つは、老子が書いたとされる
「道徳経」で、私が今回感想を書こうとする、
「老子」あるいは「タオ」は、
これをそれぞれ上に上げた筆者が自由訳したものです。
 
何故、老子の「道徳経」というかといえば、
老子は上下巻を書きましたが、
上巻は道(中国語読みでは、
タオあるいはダオと発音します)、
下巻は徳を書いていて、道と徳を合わせて
「道徳経」なのですね。
 
老子は本に名前をつけなかったので、
上下巻の最初に解説してあることが上下巻の名前になり、
それをあわせて全体の名前になりました。
 
荘子は「胡蝶は夢か」で名高いですね。
「胡蝶は夢か」は、私が夢で見た胡蝶が夢なのか、
胡蝶が本当で今夢から覚めた私が胡蝶の夢なのか、
という意味です。
荘子は紀元前300年前後に生活しましたが、
そこに老子も出てくれば、孔子も出てきました。
 
道教では、三国志にも出てくる関羽
(紀元200年前後に生きた人)を祀った、
関帝廟が有名で、この関帝廟は世界中の中華街にあります。
 
三国志では関羽は劉備に仕え、結局悲劇的死を遂げますが、
道教で47番目の神として祀られ、
そのとき義理堅かったことから、
商売の神様として敬われるようになりました。
 
中国は、2大大河の「北の黄河」と
「南の長江(揚子江)」が古来有名です。
そして儒教は中国黄河文明から発して、
一神教的だという説もありました。
一方、道教は、長江文明から発して
多神教的という説があります。
 
儒教は、加治将一さんによると
ジュー(ユダヤ)教のことだといいますから、
その伝でいくと孔子は、何代か前の人
(モーゼから800年?あと、
ダビデ・ソロモンから500年あとぐらい)が
 
バビロン捕囚から逃れて、
東へ行ったユダヤ教のラビの一族
(ユダヤ教の教義を整理しているユダヤの聖職者一族)だ
と言うことになるのでしょう。
 
一方の道教は、思想が仏教と似ているといいます
(老子は西へ行って、
仏陀になったのだという説もあるぐらいです)から、
発想は仏教と似ているのです。
 
分からなさでも、
老子の「無為自然」は、
仏教の般若心経に出てくる「色即是空、空即是色」と
同じぐらい分からないですね。
 
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<道、タオ>
 
道教は、道(「いのち」「人の生き方」、
あるいは「玄」及び「真」)を説いています。
道教には中国での思想が、いろいろ入っていて、
これだと一概に言えないのでしょうが、
代表は「老荘の思想」「神仙思想(つまり仙人)」
「陰陽」「大極図」「風水」でしょう。
 
道教の寺院は道教宮観、略して道観といいます。
導引術も道教の教えの一つなのですね。
日本では、江戸時代儒教が盛んになり、
儒教の「論語」が広まりましたが、
道教の日本への影響も見逃せません。
 
神道は、ひょっとしたら道教がルーツかも知れません。
華道、茶道、剣道の道もありますね。
柔道は、これは道教の道です。
老子の「道徳経」に、柔道の精神の
「柔良く剛を制す」という言葉もありますから。
 
道教の道は日本語で、その前後の漢字を勘案し、
「トウ」とも「ドウ」とも呼ばれます。
これを中国式に発音すれば、
「タオ」あるいは「ダオ」となりました。
 
西洋では、道教を紹介されて、
道教のいろいろな思想を一括して、
「タオイズム」と呼んでいます。
ここに西洋から見た、
東洋の不思議さを集約したのでしょう。
 
「老子」に絞って道教の話をすれば、
老子の「道徳経」は、五千余文字からなり、
「無為自然」を説いています。
反語的、逆説的表現が多く、
その心を理解するのは、困難ですが、
この本はどちらも自由訳なので、私にも少し分かりました。
 
要するに、「世の中に対する見方は、
大きく・俯瞰的に考えていけば、
価値観が変わってきて、真に理解すべきこと、
自分の心の持ちようが見えてくる」と
言っているように思います。
 
老子の道徳経(上)の最初は、「道可道非常道」
(道の道にすべきは常の道にあらず)でした。
そして道徳経(下)の最初は、
「上徳不徳、是以有徳」(上徳の人は徳とせず、
これを持って徳があるいう)です。
 
なかなか、漢文を読んで、その読み下し文を読んでも、
私には理解できませんでした。
そういう自分でいたとき(この状態で長い時間いましたが)、
この自由訳で始めて、老子を少し理解できる
ようになったので、今回の読書は嬉しくなります。
 
この道徳経に出てくる言葉で、私の知っているものには、
次の言葉がありました。
「上善如水」
「天網恢恢疎にして漏らさず」
「怨みに報いるに徳を持ってする」
 
「柔よく剛を制す」
「大道廃れて仁義あり」。
もっとあったのかも知れませんが、
理解できないことも多かったのです。
 
話は変わりますが、
「上善如水」という言葉を見るたびに思いました。
 
高岡英夫さんは、宮本武蔵の「五輪書」は
5つ(地、水、火、風、空)の巻から成りますが、
この中では、
水の巻に剣道の極意のエッセンスがあると言っています。
水のように身体を動かす。
それは、まったく「上善如水」のようなのでしょう。
 
また話は変わりますが、この老子の道徳経は、
主語がありませんので、その時代に言われていた諺を、
老子が集めたのではないか
(一部には、後世に追加されたものもあるのでしょう)という
説もあるそうです。
読んで、それも分かるような気がしました。
 
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<この本の構成>
 
新井満さんの、自由訳「老子」の目次は、次の通りです。
( )内は説明されているページ数です。
 
新井満さんの、自由訳「老子」は、
道徳経漢文全文と新井満さんのそれに対する自由訳ですが、
道徳経の順番は、新井満さんの考えで並べ替えて、
新井満さん流の章立てが行なわれています。
 
  道
-第1章 道とは何か(16ページ)
-第2章 ああ情ない(3ページ)
-第3章 やわらかく、しなやかに(10ページ)
-第4章 知足のすすめ(5ページ)
 
-第5章 引退のすすめ(7ページ)
-第6章 引き算のすすめ(4ページ)
-第7章 和光同塵のすすめ(5ページ)
-第8章 無為のすすめ(7ページ)
-第9章 成功の条件(7ページ)
 
  徳
-第10章 真の指導者とは(5ページ)
-第11章 天と地と大河のように(5ページ)
-第12章 無用の用とは(7ページ)
-第13章 真の指導者は三宝を持っている(3ページ)
 
-第14章 争ってはいけない(10ページ)
―第15章 相対と変化のはたらき(5ページ)
―第16章 最高の政治家とは(12ページ)
-第17章 トラブルを解消するには(3ページ)
-第18章 反・戦争論(7ページ)
 
千賀一生さんの「タオの法則」の
「はじめに」には、次のように書かれています。
「本書は、老子書の訳ではない。
彼の心を現代に復活させることを目指した書である。
本書を繰り返し活用するならば、
読者の人生は光あるものとなるであろう」。
 
こういう観点から、代表的な老子の言葉、
52(老子の文章から8文字程度を選んで)の項目を、
千賀一生さんふうに脚色・説明し
2ページにまとめ、それらを7つのグループに別けています。
 
7つのグループを次に紹介します。
( )内は説明されている項目数です。
なお同じ項目が複数のグループに入っている
場合もありますので( )内を足すと、52以上になります。
 
「問題解決」(16)、
「願望実現」(15)、
「才能・能力」(12)、
「愛」(5)、
「人間関係」(6)、
「運」(12)
 
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<私のこれまでの道教理解>
 
道教は有名なのですが、道教と言われているものに、
違う内容のものが多く含まれているようで、
当初、道教をどう定義づけたら良いのか
私には分かりませんでした。
 
でも要するに老荘の思想を理解すればいい、
特に老子を理解すればいいのだと思うようになりました。
1990年ぐらいの時でしょうか。
それで、老子を読もうとしました。
 
しかし、老子だけに焦点を絞っても、
やっぱり書いてある内容が、
さっぱり理解できないので面食らうと同時に、
私には理解不能と諦めました。
 
兵法の「孫子」の漢文と読み下し文を
40年~20年前読みましたが、
なんとか「孫子」は理解できました。
「孫子」のときは、良い文章だなどと
私もイキがっていたのですが、
「老子」はダメでした。
 
なにか、書き方に根本的に違いがあるようです。
 
今回、自由訳なら訳さえ良ければ、
読めるかと思って新井満さんの本に再度チャレンジしました。
「まえがき」と「あとがき」はスンナリ読めましたが、
本文はなかなか進みません。
原文はどうなっているかと思うと、
やっぱり進まないのです。
 
そこに本屋で、
千賀一生さんの「タオの法則」を見つけました。
二つを比較して読めば読めるかと思い、読みました。
まあ、理解の程度は今回も同じだと思いますが、
前よりはすすみが良くなったので、感想文を書いています。
 
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<新井満さんの「老子」のまえがき>
 
「まえがき」を読むと、老子が私にとって
何故難しかったのか、分かります。
それにしても、新井満さんは何度も老子を読んで、
理解したのですね。
余計な私のコメントは是ぐらいにして、
以下に一部を抜粋します。
 
―――老子は2500年ほど昔、
中国は春秋戦国時代に生きたされている伝説的な哲学者です。
彼は全81章五千数百文字からなる
「老子」全2巻(道経と徳経)を残しました。
 
―――老子は鋭く逆説的な論理によって、
私たちの常識的人生観をものの見事に打ち砕きます。
そうして、
真に自由で幸福な人生の智恵を教えてくれるのです。
 
―――しかし、老子の語り口はしばしば
複数章に渡って重複し、
複雑に絡み合っているせいでしょうか、
昔から今日に至るまで難解といわれてきました。
 
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<新井満さんの「老子」のあとがき>
 
新井満さんは、学生時代から40年以上
「孔子」と「老子」を愛読してきました。
そして、歳をとるにつれて、何故か「孔子」を読むより
「老子」を読む回数が増えてきたそうです。
 
そうでしょうね。
何度も読んでいないと、この本は書けないでしょうね。
しかし「孔子」と「老子」を愛読書にして来たなんて、
やはり新井満さんは、只者ではないと私は思いました。
 
実は、友達がこの本の「あとがき」に書いてあることで、
私のある意見に対するコメントをくれたので、
本当はこの「あとがき」だけを読めば。
私はよかったのです。
 
だから、今回初めて、
「老子」を読むことが出来たのは、
望外の喜びでした。
それでは、「あとがき」の一部だけ、抜粋します。
 
―――参考までに昔母から教わった
“人生3周期説”を次に紹介しようと思う。
 第1期-最初の30年間は、“自分探し”の時代。
第2期-次の30年間は“自己実現”の時代 
第3期-晩年の30年間は、“社会貢献”の時代。
 
―――私の母は91歳で死ぬその日の朝まで、
現役の助産婦であった。
彼女はよく口癖のように言ったものであある。
「天に徳を積みなさい」
「あの世に持っていける宝物はね。
生涯、人に与えたものだけだよ。」
 
おかあさんに脱帽します。
新井満さんは、沢山幸せになってください。
そう思いました。
もう一つだけ、抜粋させてください。
 
―――(では、この2500年の間に、
もっとも老子的な考えをもち、
もっとも老子的に生きた人物とは、一体誰だろう。)・・・
しばらくすると頭のなかに、
なぜか二人の人物の横顔が浮かび上がってきた。
 
(まずは、良寛・・・)・・・
老子は、幸せな人生を実現するために、
4つの生き方をすすめている。
-① 無欲に生きる 
-② 謙虚に生きる 
-③ 不争の徳を持って生きる 
-④ 貢献の徳を持って生きる。
 
―――長岡藩主、牧野忠清が国上寺参詣のついでに
良寛の庵を訪ねてきたのは、
文政2年(1819年)7月のことであった。
そのとき良寛、62歳。・・・
 
禅師打坐敢えて一語も発せず、
候懇ろに城下に迎えんことを説く、
禅師徐に筆を執り書して曰く、
「炊くだけは風が持て来る落ち葉かな・・・
候強ゆるを得ず、篤くいたわりて去られしとぞ
 
―――(では、もう一人とは・・・?) 
正確には、誰よりも老子的な考え方にあこがれ、
誰よりも老子的に生きようと望みながら、
ついに果たせなかった悲劇の人物、というべきかもしれない。
(それはジョン・レノンである)
 
世の中には、奇跡のような人がいるものだ、と思いました。
 
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<千賀一生さんの「タオの法則」>
 
千賀一生さんの「タオの法則」は、
老子の52項について、千賀一生さんの言葉で書いています。
調子のいいときは、本を右回りさせて、
本の自分のあけたいところをあけなさい。
調子の悪いときは、左回りさせてあけなさいと言っています。
 
そして、出てきたそこに書いてあることではなく、
それを見たときあなたが感じたこと、
頭に浮かぶことが大事だとあります。
そうして、私もやってみたら、次の文章が出てきました。
この本に出てくる項目ごとの文章は、
短い文章もありますが、これは長いです。
 
「落ちるがまま 大地に身をゆだねた種たちは 
必要なものすべてを吸引し 成長し続ける 
性の本質に導かれれば 求めなくても 
必要なすべては舞い込むのである」 
原文は「天門開闢 能為雄乎 明白四選 能無知乎」
 
読んだとき感じたことは、
「身を大地に任せて、行動する。
そうしたら思ったとおりのことが起きる。
それが思ったことと違っていたら、
新しい現実にあらたに向き会えば良い」。
そう、しばらくはこういう考えでいこうと思います。

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