2015年8月16日日曜日

加治将一さんの書いた、「幕末維新の暗号(下)」を読んで、読書感想意を書きました。

加治将一さんの書いた、「幕末維新の暗号(下)」を読んで、
2011年7月、私は下の通り、読書感想意を書きました。
写真は、ウェブで調べて、
パソコン画面に出てきたものを、撮ったものです。
 
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読書感想文(幕末維新の暗号(下)・・・加治将一)
 
<加治将一さんは1948年、北海道札幌市に生まれの、
<作者で自己啓発セラピストです。
 
加治将一さんは、1948年に、
北海道札幌市で生まれました。
30歳で渡米、15年間ロサンジェルスにいて、
不動産関係の仕事をしています。
 
その後、日本に帰ってきて、
本を沢山書き、日本の小説界に独特の地位を築きました。
また、自己啓発のセラピストもしています。
 
江戸時代末期に撮られたフルベッキ写真を手がかりに、
加治将一さんから見た明治維新の側面を、
この「幕末維新の暗号」で加治将一さんは書いています。
一読面白かった。
 
内容は、今まで私たちが理解していた
明治維新の偉人たちの話から見ると荒唐無稽ですが、
この本を読めば、
きっとこの本に書かれたとおりだったであろうと思います。
 
4週間前、(上)を読んだ感想を書きましたが、
(下)の読書感想文を書く前に、読んで寝かせてみて、
そのとき何を感じるのか自分でも確認したいと思いました。
一見、荒唐無稽な内容ですので、
私の理解の落ち着きも必要なのです。
 
でも今回の感想でも、
4週間前と感じたことは何も変わりませんでした。
この本に書かれた内容が、本当であることはありうるし、
私の人生で複数の見方を保有する元気は
今の私にはありませんから、暫くは加治将一さんの説で、
明治維新を私は理解して行こうと思います。
 
私の一連の読書を通じて、加治将一さんは
近世日本の歴史の、新しい語り手だと思いました。
私たちのこれまでの歴史理解をひっくり返しますが、
そう言われてそう考えると、これまで以上に納得できる形で、
私は幕末以降の日本の歴史を理解できたのです。
 
どうしてこういう見方が、今まで出てこなかったのでしょう。
明治以降は、「日本は万世一系の皇国の国
(この考えは、過去の日本の歴史のなかでは、
必ずしも一般的ではなかったのです)」という
天皇の定義づけ、
 
昭和の太平洋戦争での敗戦以降は、
アメリカの「東京裁判史観」、
あるいはコミンテルンの「マルクス史観」に、
日本の歴史観は翻弄されてきたように思います。
 
だから、幕末のペリー来航以降、
日本は激烈な競争をしている、西欧列強のなかに入って
生き抜くのにやっとだったというのが現実だったのでしょう。
やっとここに来て落ち着いて考えられるようになり、
加治将一さんの見方も出てきたのだと思います。
 
東日本大震災は、
日本の歴史哲学をイデオロギーではなく事実で考えるように、
変えるキッカケになるような気がします。
まるで新しい歴史哲学が、
東日本大震災から育まれていくのではないでしょうか。
 
それぐらい、ペリー来航以来
(ひょっとしたらファナテックな水戸藩の
「大日本史」からかも知れない)の日本は異常で、
ここにきてやっと憑き物が落ちる。
 
そのキッカケがこの地震になるような気がします。
そういうときに、
加治将一さんの考え方を日本が得たのは、
私は幸せだったのではないかと思いました。
 
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<日本の明治維新以降の事件は、
<これまで分からないことばかりだった
 
明治維新の巨人、「西郷隆盛」「江藤新平」のお二人が、
それぞれの事件で逆賊として殺されていますが、
事実は分かったとしても、
その行動の意味はズーっと分かりませんでした。
 
これらの事件には、
これまでもっともらしい説明が加えられていますし、
それらを私たちは子供のころから聞かせられてきています。
でもその説明では、どうしても私たちの心に
ストンと落ちませんでした。
 
「大久保利通」が、それらの事件を
エンジニアしたことだけが分かっています。
しかし、この「幕末維新の暗号」を読むと、
それらの事件が「幕末維新の暗号」のストーリで、
ストンと私の心に落ちるように分かったのでした。
 
ついでに、伊藤博文がハルピンで
朝鮮の安重根に暗殺された事件の背景まで、
これまでと違ったストーリで説明してあるのです。
 
また明治天皇が厠を怖がった背景や、
明治天皇がダイヤモンドをその金力で集め、
そのダイヤモンドを使って、
伊藤博文が政敵にダイヤを握らせることで、
政敵を黙らせてきた。
 
そういう経緯まで説明してありました。
そして、それらが私の納得の行くように、
「幕末維新の暗号」で説明されているのです。
 
長州藩士の伊藤博文は、南朝の末裔として長州藩に、
江戸時代末期に飼われていた大室寅之祐
(後の明治天皇、江戸最後の天皇は、
当然北朝の流れですが、暗殺されその子も暗殺されて、
そこから南朝の大室寅之祐が天皇にすり替わって
明治天皇になっています)の子供のころから、
面倒を見ていた、足軽階級の人でした。
 
だから、明治天皇は伊藤博文を信頼していたようです。
そういわれると、
足軽階級出身の伊藤博文が、
明治維新後、異常に出世して行ったのも分かりますね。
 
フルベッキ写真は、
フルベッキと維新の立役者となる志士達が大勢
(フルベッキとその長男と
明治天皇になる大室寅之祐を含む44人の志士達)が
写っている写真です。
 
ここには、西郷隆盛、大久保利通、桂小五郎、坂本竜馬、
勝海舟、岩倉具視や横井小楠、高杉晋作、江藤新平、
伊藤博文、井上馨、大隈重信など、
江戸時代から明治時代を動かした
錚々たる人達が写っていました。
 
写真が写された時期は、
明治元年の3年ぐらい前と、加治将一さんは推定しています。
多分、この写真は、
天皇家をそれまでの北朝の流れから、
南朝に戻すための決起のときのものでしょう。
 
この写真の背景となる思想を実行するため、
この人達は明治維新を遂行して行きましたが、
一度一般国民を騙すと、その嘘を守るため仲間うちでも、
事件を起こして仲間を殺さなければならなかった。
 
そう理解したら、
そしてこの本に書いてあるような筋道を理解したら、
私も明治のさまざまなことが
分かってきたような気がします。
 
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<この本の構成>
 
この本は上巻、下巻と分かれていますが、
下巻の構成は、次の通りです。
( )内は説明されているページ数です。
 
-6 大隈重信の沈黙(72ページ)
-7 闇の中の天皇(66ページ)
-8 明治新政府の陰謀(72ページ)
-9 解かれた封印(93ページ)
 
6は、江藤新平を大久保利通は「佐賀の乱」で
殺しましたが、その経緯を書いています。
江藤新平は、王政一致、朝廷優位に反対していましたが、
尊王一派の岩倉具視、大久保利通は
江藤新平の考えに危機感を持ち、
「佐賀の乱」を演出し、江藤新平を殺しました。
 
そのとき大久保利通が利用したのが、
江藤新平と同じ佐賀の出身である大隈重信です。
 
大隈重信は早稲田大学を創設し、
総理大臣になったことで有名ですが、
佐賀の人は、大久保利通の腰巾着になり江藤新平を殺し、
その後異例の出世をした、
大隈重信を嫌いになりその後も許しませんでした。
 
フルベッキ写真には、
フルベッキが佐賀藩で教鞭をとっていたこともあり、
フルベッキ・チルドレンの佐賀藩出身者が大勢写っています。
が、そこに写っている多くの人が
「佐賀の乱」で処刑されたようです。
 
だから明治維新の体制派は、それも1つの理由として
フルベッキ写真はないものとするよう、画策したのでしょう。
 
佐賀の人は江藤新平の名誉を回復するため、
フルベッキ写真が載っている本、
明治40年には「開国50年史」、
大正3年には「江藤南白」を書きましたが、
そのとき裏側で活躍し、
大隈重信に対峙したのは、玄洋社の頭山満だったそうです。
 
7には、明治天皇が、長州藩が飼っていた
南朝の末裔の玉であったことが書かれています。
江戸時代最後の天皇の孝明天皇も、
その子供の睦仁も岩倉具視等の手によって暗殺され、
睦仁の代わりに
大室寅之祐がすり替わり明治天皇になりました。
 
このシナリオを書いたのは、岩倉具視や三条実美などの、
明治維新の勝者の公家たちでしょう。
歴史の本では、別なこと
(孝明天皇は病死、睦仁が明治天皇になったと)が
書かれてありますが、それは嘘なのですね。
 
明治維新以降の西郷隆盛の薩摩における異常ぶりも、
この章には書いてあります。
これに対処するため、大久保利通は、
江藤新平の「佐賀の乱」のときの発想で、
「西南の役」を演出したのでしょう。
 
8には、明治新政府(特に岩倉具視など、
明治維新の勝者の開明派の公家達)が、
明治天皇がすりかえられたのを、明治天皇の周りにいた人や、
国民に分からないようにするために、
どういう手を使ったかが書いてあります。
 
大室寅之祐が、
暗殺された睦仁に成り代わって明治天皇になりました。
この本当のことを国民に知られると、
明治政府が国民に植え付けていたストーリと狂ってくるので、
天皇すり替えの事実は、大きな問題だったのですね。
 
9には、明治天皇の周辺のことが
あれこれ書かれていますが、
それらはすべて、
明治天皇が南朝系の大室寅之祐だとすると、
キレイに説明できてしまうことが、書かれています。
 
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<伊藤博文、岸信介、佐藤栄作>
 
伊藤博文、岸信介、佐藤栄作は3人とも、
明治天皇の大室寅之祐が生まれ育った
山口県の田布施出身だそうです。
人口2万にも満たない田舎町から3人も
日本の総理大臣が出たと、この本には書いてありました。
 
このほか共産党の元の委員長の宮本顕治、
皇太子時代の昭和天皇を狙撃した
難波大輔も、この辺の生まれだそうです。
 
伊藤博文の家は多分、
代々長州藩が飼っていた南朝の末裔を守る、
役割であったろうと言っていました。
つまり明治天皇と伊藤博文は子供のときから
遊んだ仲だろうと、加治将一さんは言っています。
 
だから明治天皇になった大室寅之祐は、
天皇になるという異常な出来事のなかで、
伊藤博文だけを頼りにしたのでしょう。
そうすると、明治天皇が政府の金で、
ダイヤや香水を買い漁って、
それを伊藤博文に与えたのも分かると言っていました。
 
伊藤博文はそのダイヤなどを、
政敵を買収するために使ったのです。
何しろ伊藤博文は足軽の家の出で、
明治維新後は異様に出世したので、有名ですが、
裏側の事情を分かれば、理解できました。
 
幕末の志士たちは、自藩の諜報部員であることが多く、
伊藤博文も同じだったようです。
江戸時代最後の天皇、孝明天皇は
岩倉具視などに買収された医者に、
毒を一服盛られて弱っていたところを、
伊藤博文が厠の下から、殺したとのこと。
 
その話を伊藤博文からいつも聞かされていた
明治天皇は、医者嫌いと極端な厠ぎらいになったのが
有名で、記録にも残っているそうです。
 
岸信介も総理大臣になってから、
郷里に帰ると真っ先に(家よりも先に)
「踊る宗教」の教祖北村サヨのところへ
お告げを聞きに行きました。
 
北村サヨは、天照皇大神宮の教祖ですが、
天照皇大神宮から照を抜くと、天皇大神宮になります。
つまり、北村サヨは明治天皇のいきさつを聞いていて、
天皇家に顔が効いたのではないか。
そしてその力を使って、岸信介のために天皇家に働きかけ、
その結果をお告げとして、岸信介に教えていた。
 
岸信介は、それを利用して見返りにお金を出した。
そういう関係ではなかったかと、
加治将一さんは言っています。
佐藤栄作にも、同じようなことがあったのでしょう。
 
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<江戸幕末以降の日本は、
<良く分からないことが多かった世界だった
 
アメリカはこれらの事実を知っていて、
戦争中、天皇を崇拝する日本人の目を覚ますため、
事実をオープンにして
日本人に知らせようという動きもあったようです。
 
アメリカには、幕末以降の日本の資料が沢山ありますから、
アメリカのその筋の人は事実を知っているのですね。
私は、明治天皇の孫の中丸薫さん
(明治天皇の奥様になる人は沢山いましたが、
中丸薫さんは孫の一人です)の本を、ときどき読んでいます。
 
が、そこに明治天皇は南朝系とありましたから、
明治天皇が南朝系であることは、
私は公知の事実かと思っていました。
 
それもアメリカの人が、
南朝系の明治天皇の孫のDNAを調べたいとして、
中丸薫さんのところに来たそうですから、
世界のオーソリティの中では、
これらは常識的事実だったのでしょう。
 
しかし、考えてみると足利幕府のとき以来、
天皇は北朝系で来ましたから、
明治天皇になって南朝系になることは、
普通ではないのですね。
 
「幕末維新の暗号」の単行本がでたのが、2007年です。
私がこの文庫本が2011年6月に出て買って読んだのが、
2011年6月でした。
この間、加治将一さんの周辺には、
これに関して「もう喋るな」との圧力など、
さまざまなことがあったようです。
 
でも私は、加治将一さんのこの本を読んで、
明治のことなどが良く分かるようになりました。
スッキリしたのです。
だから暫くは、私の明治の日本理解は
「加治将一流」で行こうと思いました。
 
次に、加治将一さんの文庫版の「あとがき」から、
一部を引用し、私の読書感想文を終わります。
 
―――詳しくは書かないが、
正体不明の脅迫を賜ること数回。
攻撃は私の本が与える衝撃によって変わってくるのだが、
想定内である。
 
―――いくら後で外したところで、
本には写真が掲載されている以上意味がないと思うが、
その筋から圧力がかかったのか、
それとも日本人お得意の「自粛」なのかは定かでない。
 
―――静かなる絶望のあがきでも、いっこうにかまわない。
言論の自由と平等は自分の作品の中核をなす価値観だ。
必然的に体制側の価値観とぶつかる。
だがネット時代に力ずくで私を黙らせることはできない。
これからも、私は私の流儀で書き続けたい

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