2015年8月12日水曜日

養老猛司さん、徳川恒孝さんが書いた、「江戸の智恵」を読んで、読書感想を書きました。

養老猛司さん、徳川恒孝さんが書いた、
「江戸の智恵」を読んで、
2011年7月、私は下の通り、読書感想を書きました。
写真は、神宮外苑で打ち上げられた
花火を、撮ったもの。
 
江戸と言ったら、花火を思い出したので、
この読書感想文の写真に、これを使いました。
 
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読書感想文(江戸の智恵・・・養老猛司、徳川恒孝)
 
<養老猛司さんは、
<1937年神奈川県鎌倉の病院の子どもに生まれ、
<東京大学にいった解剖学を専攻した医学の学者です。
<「バカの壁」という本がベストセラーとなって、
<有名になりました。
 
養老猛司さんは、
1937年神奈川県鎌倉の病院の子どもに生まれました。
お父さんが養老猛司さんの子供の頃、
4歳で結核でなくなって、それ以来、お母さんが一人で
「大塚医院」を切り盛りし、その手で育てられています。
 
子供の頃の養老猛司さんは、昆虫少年で、
少年期、鎌倉昆虫同好会を結成し、会長をつとめたそうです。
 
テレビやラジオから取材を受けた養老猛司さんは、
虫が好きな理由について
「論理的に意味がわからないことがたくさんある
(からおもしろい)」という旨を発言したそうですが、
少年のころから養老猛司さんは、ませていたのですね。
 
それから東京大学医学部に行き、
大学院で基礎医学部解剖学を専攻、
1967年医学の博士号をとり、その年研究室に残りました。
 
研究室で助手をしていたとき、当時さかんだった全共闘が、
ゲバー棒、覆面で研究室に入ってきて
「こんな一大事に研究なんかしている場合か」と
研究室を追い出されました。
これを理不尽だと思ったのでしょう。
全共闘には、今も反感を持っているようです。
 
「正義」(だと思っている人)は人を追い出したりして、
平気ですから、養老猛司さんはその「正義」の被害者として、
「正義」が今もキライになりました。
1995年東京大学を退官し、その後北里大学教授、
立正大学名誉教授を歴任し、
今は代々木ゼミナールの顧問等をしています。
 
2003年養老猛司さんが書いた「バカの壁」という本が
ベストセラーとなって、この人は有名になりました。
しかし天の邪鬼の私は、
この本のベストセラーになったというのに反感して、
ずーっとこの本を読まなかったのです。
 
が、この前、図書館で「バカの壁」を読んだら、
面白くて思わず読み込んでしまいました。
養老猛司さんは普通の考えを持っています。
こんな普通の考えの人が、
日本人にいるのが嬉しくなってしまいました。
 
なにか本屋に行くと、日本のオピニオンリーダ達には、
養老猛司さんを始め
私の先生になるような私と同じ考えの人が、
増えたような気がします。
一方、本を読んだらなにか養老猛司さんに、
悲しみも感じました。
 
<徳川恒孝さんは、1940年福島県会津松平家に生まれ、
<大学は学習院に行き、そこから日本郵船にいき、
<副社長にまでなります。
<現在、財団法人徳川記念財団初代理事長を務めています。
 
徳川恒孝さんは、1940年福島県会津松平家に生まれ、
13歳のとき母方の家、徳川宗家の養子となりました。
養子になったいきさつは、エピソードになっています。
学習院に行き、そこから日本郵船にいき、
副社長にまでなります。
 
現在、財団法人徳川記念財団初代理事長を務めています。
親戚は、天皇家など錚々たる人達。
本人は来歴からも、この本の語り口からも、
軽妙洒脱であることが伺えます。
 
しかし、やはり徳川宗家(徳川家最後の将軍、
徳川慶喜のひ孫)の人であることは大変だと思いました。
養父(母方の祖父)は、最後の日本国貴族院議長、
本当の父は最初の日本国参議院議長で、
ご本人も日本郵船で副社長まで勤め、
退任後は数々の日本を代表する、財団の会長などを務めます。
 
日本郵船勤務時代は、徳川宗家を守る人として、
歴代の将軍のお墓参りなど、たくさんの行事がありましたが、
それらを日本郵船の有給休暇で対応していったとか。
律儀な人であったのですね。
 
だから、長男の徳川家広さん
(翻訳家。私もその翻訳した本を2冊ぐらい読みましたが、
物の見方の歴史的、空間的な大きさに感心し、
その感性をいつか学ばねばと思っている人です)が、
ベトナム人の女性と結婚したとき反対したそうです。
 
が、「その反対する気持ちはわかるな」と思いました。
そして(徳川家広さんが、ベトナム人と結婚したというのを、
今回初めて、徳川恒孝さんのウィキペディアの
説明で知りましたが)ベトナム人と結婚した、
長男の徳川家広さんの感覚にも、
私は共感を覚えてしまいます。
 
よき人達が、一生懸命考えて、
生きるとこうなるだろうと、私は思いました。
そして、日本のオーソリティの人達が、
よき人になろうと一生懸命であることが多いのには、
驚くばかりです。
 
何故か、徳川家康の
「人の一生は、重荷を負うで遠き道を行くが如し」と
言う言葉を思い出しました。
 
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<江戸の智恵
 
図書館に行って、このタイトルの本を見たとき思いました。
江戸時代の文化に現代から、
1人称で向かい合った
徳川恒孝さんの意見なら聞いてみたいな。
 
しかも養老猛司さんが、
それをどう思うかの補足付なんて最高。
そう思って、図書館からこの本を借りてきました。
この本は2010年9月にPHPから出されています。
 
私が日本の歴史と肯定的に向きあい始めたのは、
35年と少し前、山本七平さんの
「日本教について」を読んでからです。
 
日本の歴史を肯定的に見始めたのは、
その前に読んだ山本七平さんのベストセラー
「日本人とユダヤ人」からかも知れませんが、
本当に私が日本の歴史に肯定的になったのは
「日本教について」を読んでからでした。
 
「日本教について」は
「日本人とユダヤ人」より面白いのではないかと、
私は思っています。
 
それまで日本を覆っていた、
(なんとなく私たちの感情にはフィットしない)
マルクス史観や東京裁判史観に、
私も囚われていましたから、
そんなことが一つも出てこない(歯牙にもかけない)、
 
「日本教について」を書いた山本史観に、
私の魂は揺さぶられたのでした。
その「日本教について」は、
この日本の日本らしさを作ってきたのは、象徴的には、
江戸時代の石田梅岩や鈴木正三の哲学と言っています。
 
石田梅岩や鈴木正三は、
その時まで私は知りませんでしたから、
江戸時代の庶民が(寺子屋等で?)学んだ哲学が、
今の日本の原点となっているというのを聞いて、
それ以来、江戸時代には興味を持って来ました。
 
その延長上に、この本が私の興味を引いた原点があります。
何しろ私にとって、山本七平さんは面白い人でした。
日本人の法意識の原点は、鎌倉時代の北条家が作った、
「御成敗式目」だと言ったり、
南北朝時代の「太平記」
 
(あの楠正成が出てくる物語ですね)は、
戦争ばかりしていた時代を扱っていたのに、
何故、「太平記」(大いなる平和の記と言う意味ですね)と
いうタイトルになったのかなどを解説しています。
 
おまけに「太平記」を読み解くのに、
夏目漱石の「こころ」の登場人物と
「太平記」の登場人物を比較したり、
「太平記」だけを書いている本に、
「日本の歴史」というタイトルをつけたりと大胆に、
山本七平さんの好きなように
本を書いているのではないかと思いました。
 
幕末の思想家の伊達千広
(明治の外務大臣陸奥宗光のお父さんなのですね。
和歌山藩主等に可愛がられ、
藩政改革を進めた家老のバックアップもしましたが、
藩主が死ぬと、そのあとで実権を握った人に
疎まれて幽閉などもされています)の、
社会の読み解き方を使って、
日本国を分析したりもしています。
 
山本七平さんはいつも私の頭を混乱させていますが、
凄いと思うのは戦前の日本の常識を使って、
いつも自分の頭で考え日本を分析していることです。
あとから教えられた西洋の哲学など、
日本を分析するとき意味がないと、
山本七平さんはあえて無視しているように思えました。
 
山本七平さんの山本史学は私には、
奥が深くて理解しきれておりませんが、
これで私も死ぬまでやることができている、
などとそれも私を喜ばせる材料になっています。
 
この「江戸時代の智恵」というのは、
山本七平さんに傾倒してきた私の感性を刺激する言葉でした。
ちなみに山本七平さんの悪口も沢山聞きますが、
それは自分の頭で考えれば、間違いもあると思います。
 
間違いなんてどこにもあるし、
それを大勢の人がウオッチングしていけば、
いずれ間違いには気がつくでしょう。
 
間違いが多少あったにしてもそれ以上に、
山本七平さんは私たちに新しい視点を、
もたらしてくれた人として、
私にはまなぶべき人になっています。
 
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<この本の構成>
 
この本の構成は次の通りです。
( )内は説明されているページ数です。
 
第1章 開国か、鎖国か(54ページ)
第2章 大人のいない国日本(80ページ)
第3章 「家」と「世間」を取り戻す(46ページ)
 
第1章の前の「まえがき」は、養老猛司さんが書いています。
曰く「私は庶民で育ちが悪い。・・・
品の良い人にお目にかかると、なんとなく安心する。・・・
フツーの日常がもうちょっと何とかなりませんかね。
そういう対談になった。・・・
 
肩肘張った結果がひどいこと(太平洋戦争)になった。
その時代を知っている
年寄りの反省と思って読んでいただければ幸いである」。
養老猛司さんの「まえがき」全文を読んだほうが、
この本のなんたるか、
徳川恒孝さんがどういう人か分かると思いますが
 
(養老猛司さんの言葉には無駄がなく、
そして養老猛司さんは当たり前の感性を持った人だと、
改めて思います)、
あえて養老猛司さんの「まえがき」を要約すれば、
そうなります。
 
第3章の後の「あとがき」では、
徳川恒孝さんが次のように書いています。
「つくづく感じるのですが、
最近とみに人々の心の許容量が小さくなったというか、
いい加減さが失われたというか、
 
世間から寛恕の精神が失われているように思います。
(というふうに、怒りっぽくなってくるのが
老人になった証拠よ、と家人はいいますし、
まったくそうだと思いますが)」。
 
徳川恒孝さんの馥郁たる雰囲気が漂って来る文章ですが、
この本を通じて、
そういうものを私たちに感じさせてくれます。
本を読めば幸せな気分になるから、
徳川恒孝さんは不思議な人でした。
 
こういうお二人が、今の日本に感じる問題点、
江戸時代にはどうしていたか、等をこの本で語っています。
こうしてみると、
やはり江戸時代には、いい加減のよさがあったと、
私は思いました。
 
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<開国か、鎖国か>
 
「開国か、鎖国か」という言葉が
章のタイトルに何故ついたのかは、分かりません。
しかし、日本はどう他の国と違っているのかは分かりました。
 
今の日本は良い国になったから、
そして悪い人が少ない国だから、若い人達が、
ハングリー精神を失ったのだと思います。
その中で、みんなが当たり前に反応しているだけ。
今私たちは特殊な日本に生きていて、
特殊な結果が起こっているのかも知れません。
 
「奇跡のりんご」を作った青森県津軽の木村秋則さんは、
肥料をやるとりんごの木の根が伸びないと言っていますが、
きっと今の日本の若者は、
肥料過多な環境で育っている
リンゴの木と同じなのでしょう。
 
この本は、今度の地震・津波・原発事故前に
書かれたものですが、この地震で日本は変わるのでしょうか。
女子サッカーの「なでしこジャパン」には、
特に沢穂希選手にはハングリー精神を感じました。
 
それを守り立てるほかの女子選手たちは、
みんなベストを尽くす良い人達と思います。
こういう日本の成り立ちは、
日本を変えていく象徴なのでしょうか。
 
昔からの日本にはいくつかの特徴がありました。
日本の武具は、刀にしろ、鎧にしろ、
美術になってしまいます。
種子島に鉄砲が着いて以来の戦国時代、日本人は
南蛮人の神父がビックリするぐらい好奇心が強かった。
 
母国語で科学を教えられる国は、
アジアでは日本だけだそうです。
これらは、ほかの国と比較すると大きな違いだそうです。
きっとそうでしょう。
 
養老猛司さんが仮説を語り、
経験豊かな徳川恒孝さんがそれに答えると、
日本の良さが、そして現代の危うさが伝わってきました。
 
この話の中で私が一番面白かったのは、
「談合は複雑で面白い」と言う言葉です。
みんなが悪いのが常識と考える「談合」を良いとする意見に
反応する私も、少し変わっていますが。
養老猛司さんはこういっています。
 
『最近は「談合はフェアではない」という
批判が聞こえますが、日本では昔から、
「話し合い」という名の談合を繰り返してきました。
そのルールが、じつに複雑で面白い。・・・
 
われわれ日本人の目からイギリスのオークションを見ると、
「ずいぶん乱暴なことをしている」という印象を持ちます
(これをベースにしているのが入札でしょう)。
競売でライバルを黙らせるため、
ひたすら札束をはりつづけるというオークションは、
一握りの人しか勝者になれなせん。
 
それでは「三方良し」にはならない』。
これに対して、徳川恒孝さんは、
談合は『江戸の智恵の面目躍如ですね』と答えています。
 
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<大人のいない国日本>
 
ここも何が大人なのかは、私は分かりません。
でもお二人が、面白いことを言っていたのは分かりました。
私の印象に残ったそれらいくつかを、
断片的に次ぎに書いてみます。
 
まず宗教の話ですがお二人の意見はあっていました。
養老猛司さんは『いま世界各国が
何で悩んでいるかといえば、間違いなく宗教の対立です』。
それに答えて、徳川恒孝さんは次のように言っています。
 
『宗教の問題を解決しなければ、社会がうまく回らない。
この宗教問題を世界に先駆けて解決した国は日本です。
しかし、それは日本という他の宗教文明と
離れていた島国という条件と、
宗教の持つ危険な一面に気がついた
織田信長や徳川家康のような指導者がいたことによるもので、
とても例外的なものと思います。
 
では日本人は無宗教かといえば、
「日本教」とでもいうような自然崇拝的な宗教心がある。
とても特殊なありかたですから、
世界中の国々が日本流に従うのも難しい・・・』。
なるほど。
 
武士に「二言なし」について二人が語っていたのも面白い。
養老猛司さんが『「文芸春秋」が別冊を出して、
日本に住む外国人に
「日本のよいところ」を語らせたことがありました。
 
面白かったのは、「日本人はいったとおりの時間に来るし、
約束どおりのことをする」点で、大方の見方が一致したこと。
それを読んで、僕は「言ったとおりに来ない、
やらない」が世界標準だと分かりました・・・
 
それこそ江戸時代の「武士に二言なし」や
「武士の一言」の伝統に倣って、お喋りは信用ならない、
という常識を取り戻してもいいのではないかと思う。
言ったことと行動が同じかどうかは、
日本人にとって大事な判断基準です』。
なるほど。
 
枠組みを作ることの、
江戸時代の仕組みを二人は語っています。
徳川恒孝さんは次の様に言いました。
『政府がやるべきことは大本の方針作りに過ぎない。
あとは誰かが行き過ぎをしたら、歯止めをかけることです。
 
もう一つ重要なのは武家の教育です。・・・
面白いことに、彼らは剣術以外、
算数や技術などの実学をせず、
ひたすら「人の道とは何か」を学んでいました。
 
そういう人達がリーダになり、
実務は民に任せたから江戸社会はうまくいった。・・・』。
なるほど。
お二人が、今度の地震を言っているようなお話もありました。
 
『地震、台風、洪水は、
災害列島の日本では避けようがない。・・・
そういう災害が多発する国で明るく元気にいくためにこそ、
何ももたず、モノにこだわらないという、
江戸の人々の性格が形成されたと思います。・・・』と
養老猛司さんが言えば、
 
徳川恒孝さんは次ぎのように言います。
『日本の四季と、
日本海側および太平洋の気候がおりなす絶妙なバランス。
自然の豊かさと言う点で、
日本は本当に世界一の国だと思いますが、その分災害も多い。
 
ただ、それをサラリと笑い飛ばしてしまうところが凄い』。
これはひょっとしたら、
呉善花さんと同じことを
言っているかも知れないと思って読みました。
 
どういうストーリか全く分からないのですが、
私は江戸落語が好きなので、
それを語っているところを取り上げて、この章を終わります。
 
『尾羽打ち枯らした浪人が二人で日向ぼっこをしていた。
一人の浪人が「金はかたきじゃ」と切り出すと、
もう一人がしみじみと、「本当に」といって、
そのあとに「久しくかたきに巡り合わない」という、
仕舞いのセリフを言うわけです(笑)。・・・』
 
『本当ですね。明治になっても、
あの古今亭志ん生師匠の「なめくじ長屋」での
実生活ぶりなどはじつに面白いです(笑)』
『あれが笑えたということは、
やはり江戸の人は大したものだと思います』
 
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<「家」と「世間」を取り戻す>
 
世襲が日本を繋いできたから、
世襲を大事にしていかなければならないとして、
その例をあげています。
 
伝統芸能の世界、
例えば能楽師の世界では3歳で「お稽古初め」、
6歳で「初舞台」。
だから太鼓や小鼓、笛方などの囃子方も、
シテ方もワキ方も、皆3歳からその道に入ったプロばかり。
 
昔大工の子は4,5歳のころから、親父さんと、・・・
政治家という職業の多くが
「家」で持っていることを知らない。
どうやら日本の中心は「家であるらしい」
ということを知っているのが「大人」の社会だと思う。・・・
 
と養老猛司さんが言えば、
徳川恒孝さんも次のように言います。
 
家という制度は、武家だけでなく、
江戸社会全体のとても大切な基盤でした。
商家では・・・。
江戸時代はきわめて融通無碍です。
お嫁さんもさっさと家を出てしまいます。
 
殿様だって息子の出来が悪ければ、
さっさと養子をとります。・・・
こうして江戸時代には社会がうまく回っていたのですが、
それを崩したのが明治の民法です。・・・
 
江戸時代におよそ3%だった離婚率が、
明治民法の施工後は1%を切ってしまいました。
一見よいことに見えますが、
要は不仲であろうとなんだろうと、
体面が悪いなどと言われて、
離婚が出来なくなってしまったのです。
 
明治民法で、日本中が男系の社会になってしまいました。
これを読んで、そういうことかと私は思いました。
 
このほか、作家のC・W・ニコルさんが、
日本に住んでよかったことを一つだけあげればと聞かれて、
「宗教からの自由」と言ったそうです。
そうか宗教から自由になることが、
そんなに人の心を開放するのかと思いますが、
私たちには当たり前すぎて、それが分かりません。
 
「世間」、死んだら世間から切れる日本人の死生観、
なども取り上げられていました。
 
そうか、明治以降は西欧列強の中で、
無理をしてきた時代で、
私たちはまだそれを引き摺っているのだと思いますが、
これからだんだん、
また日本人の本来に戻るような気がします。
 
そのキッカケが今度の大震災だったのでしょう。
女子サッカーのW杯における
「なでしこジャパン」の活躍は、
そのなかでどれぐらいの比重を占めるかな。

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