2016年3月27日日曜日

佐藤優さんの書いた、「甦るロシア帝国」を読んで、読書感想を書きました。

佐藤優さんの書いた、「甦るロシア帝国」を読んで、
2012年3月、私は下の通り、読書感想を書きました。
写真は、ウェブで見た本の表紙を、撮ったものです。

++++++++
読書感想文(甦るロシア帝国・・・佐藤優)
 
佐藤優さんは、埼玉県に1960年1月18日に生まれ、
<浦和高校、同志社大学神学部で修士まで行き、
<外務省に入り、ロシアで活動し、
<鈴木宗男さんの逮捕と一緒に逮捕され、
<今は文筆家になっています。
 
1960年1月18日は佐藤優さんの生まれた日です。
私の知っている人で
同じ日に生まれた人が、もう一人いました。
私がほぼ1月に一回ゆる体操を習っている、
小松美冬先生がこの日生まれです。
 
何故、美冬という名前をつけたのですか、と聞いたら
1月18日の「大寒」の日の生まれなので、
美しい冬で美冬とつけたと言っていました。
それで、この方の生まれた月日がわかります。
その前に、小松先生から
60年安保のとき生まれたと聞いていました。
 
お父さんが新聞記者で60年安保のデモの現場に行ったとき、
お母さんもデモをする人としてそこに居て、
「なんでこんなところにいるのだ」と、
お父さんがお母さんに言ったというのを、
私は不思議に覚えていて、
これで小松先生の生年月日が分ったのです。
 
大寒を調べてみたら1月20日と、
ウイキペディアに出ていて1月18日とは違いましたが、
だいたい一緒ですね。
 
私にとって、小松美冬先生は
ツキを呼んでくれた人と思います。
押し付けがましくなく、
しかしキチンと「ゆる体操」を教えてくれる。
良い人に習ったなと思っていました。
 
そして、佐藤優さんの生年月日を見たら、
まったく同じ日ではないですか。
それから、この日に生まれた人は、ストイックで純粋で、
ずるくないのだと思うようになりました。
小松美冬先生は勿論そうですが、
本を読んでいて佐藤優さんもそういう人だと思いましたから。
 
佐藤優さんは、埼玉県で生まれ、
浦和高校、同志社大学神学部で修士まで行っています。
「何故、神学部なのか」と私は最初思いましたが、
いろいろ知るにつれ「お母さんの影響だな」と思いました。
 
お母さんは沖縄久米島に生まれ、
あの太平洋戦争の沖縄戦のとき
沖縄本島で看護婦の仕事をしています。
 
お母さんが久米島に戻ると、
それこそほとんどと言っていいぐらい、
多くの知人が戦争で死んでいました。
お母さんはそれを見て深く思い、
それからキリスト教に帰依しています。
 
一生独身でいようと思ったのですが、
戦争が終わって満州から内地に帰って来たおとうさんが、
仕事を求めて偶然沖縄の米軍に来ていて、
そのお父さんに見初められて、
お父さんの強引さもあったのでしょう。
 
結婚して埼玉に来ました。
子供は自然に、親の影響は受けますね。
佐藤さんは自然にお母さんの影響を受けたと思います。
 
++++++++
<外務省の佐藤優さん-外務省のラスプーチンと呼ばれて
 
佐藤さんはプロテスタントの勉強を、同志社大学でしました。
その勉強を通じて、チェコの赤い神学者フローマートカ
1989年~1969年、
1968年のチェコのプラハの春にも哲学的に関わっている)
に興味を持ち、その人に身近に触れたくて
外務省にノンキャリアとして入りました。
 
外務省ではモスクワに居ることが多かったとようです。
佐藤優さんのキリスト教の知識は深いものがありますし、
その考えの私利私欲を越え日本国を思う気持ちに、
歳の上下に関わらず広くロシアの知性たちは反応しました。
 
佐藤優さんも
出来ることは彼らのためにやっていこうと思います。
そして実際やりました。
だから、外務官僚に期待されている以上に、
佐藤優さんはロシアに深く食い込めたと思います。
 
佐藤優さんの知識は、日本が生んだ奇跡のようなものですし、
こんな人脈を作れる人はもう出ないでしょう。
佐藤優さんが、「弱いものは助ける」武士道精神で、
ロシア人と付き合ったから出来た
人脈であったように思います。
 
佐藤優さんのポストは
ノンキャリアのポストで比較的低いものでした。
が、そういう佐藤優さんですから、
現実的にはポスト以上に物凄く力があります。
 
その力が政治家の鈴木宗男さんに評価され、
佐藤優さんのキャリア以上に、ポストの面でも、
政治家との人脈を作る面でも優遇されました。
それで鈴木宗男さんが失脚したとき、
佐藤優さんも仲間の外務省トップの人達から
鈴木宗男さんの道連れとして調べられています。
 
そしてトップは悪さを見つけたのでしょう。
佐藤優さんは、外務省から告訴され有罪とされました。
外務省のオーソリティから見ると、
鈴木宗男さんの政治力もあって、経歴以上に優遇された
佐藤優さんは、煙たい存在でもあったようです。
 
外務省は鈴木宗男さんの失脚時、
喜こんで佐藤優さんの悪さをでっちあげ
(経緯を読むとでっちあげとしか思えません。
外務省の偉い人達は、
もっと悪いことをした人がほとんどなのではないでしょうか)
て、佐藤優さんを調べたと思いました。
 
佐藤優さんが獄に繋がれたおかげで、
私達は文筆家となった
佐藤優さんの本を読むことができるようになったので、
逮捕は私たちにとって良かったのかも知れませんが。
 
++++++++
<この本との出会い>
 
本屋でこの本を見つけたとき、
満州からの引揚者へのロシア兵の残酷な行為を、
私は本で読んでいたので、
ロシアはなんとなく毛嫌いしていました。
それでこの本にも何となく手が出ません。
 
でも心に残っていたのか、
先日本屋で再度見つけたとき思わず買ってしまっていました。
1年に何回かは、佐藤優さんの
生き様にふれてみようという私がいることも事実です。
 
ロシアを思い出したら急に、昔40年前ぐらいご一緒した、
全電通本社支部の書記長を思い出してしまいました。
何か私と気があったのか、
この方には可愛がって貰った記憶があります。
 
この方は戦争中、関東軍独立歩兵連隊で満州にいて、
戦後抑留されソ連にいき、捕虜となっていました。
「タワリシチ」を連発するのが特徴だったと思います。
ソ連の悪口は言わず、
むしろ思想的に左よりになっていました。
 
個人的には、夕方になると毎週1~2回は
有楽町界隈に一緒に飲みに行っていたと思います。
おかげで私の給料とボーナスは、
この頃ほとんど酒に消えていました。
 
花咲き花散る宵も  銀座の柳の下で 
待つは君ひとり君ひとり  逢えば行くティルーム 
楽し都恋の都 夢のパラダィスよ花の東京」。
有楽町数寄屋橋の辺りを、
その人が歌いながら歩くのに附いていったのを思い出します。
 
これはその人とは別ですが、
若い頃良く謡ったカチューシャの歌も思い出しました。
「カチューシャかわいや わかれのつらさ」も思い出します。
そういう意味では、
若い頃の私の周りには沢山のロシアがあったのですね。
 
++++++++
<この人と親交のあった米原万理さんがこの人を褒めていた
 
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」等を書いた
米原万理さんは、1950年のお生まれですが、
もうガンで亡くなっています。
 
タイトルの面白さに惹かれて、何冊か
この人の本を読んで見ましたが、
読書をしてみて米原万理さんは良い人だな、
泣かせるなと思っていました。
その米原万理さんが、
親交のあった佐藤優さんを褒めています。
 
そこで私は有名になっていた
佐藤優さんの本を、買ってきて読みました。
本は結構難しいことを扱っていて、
読むのに時間がかかるのですが、
筋は論理的で時間をかければ分ります。
 
そして佐藤優さんの読書量が並大抵でないのも分かりました。
何しろ佐藤優さんのある本を読んだら、
私が今行っている会社の社長のお祖父さんと伯父さんも、
本に約2ページ出てきて、昔こういう人が居たのだと、
佐藤優さんはお二人を肯定的書いているではないですか。
 
この人はこんなことまで、本で読んでいるのか。
勉強家だなと思ったものです。
それからこの人の本を定期的に、読むようになりました。
全体的には難しい本が多いのですが、
諜報のことを書いた本は、面白くて
(内容は深刻ですが)すぐ読めます。
 
それで、諜報の本からこの人の本を読んでいきました。
 
関係がありませんが、米原万理さんにも
私は感動しているので、彼女に少しだけ触れます。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」という本は、
「リッツアの夢見た青空」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」
「白い都のヤスミンカ」で構成されています。
 
お父さんが日本共産党の幹部
(お父さんは島根県の大地主の息子ですが、
戦前の日本では大金持ちの息子で
共産党員になる人が多かったようです)でした。
 
それでお父さんは各国共産党の理論誌
「平和と社会主義の諸問題」の編集員に、
日本共産党代表で選任されます。
そして、1959年、
理論誌の編集局のあったチェコのプラハに、
米原万理さんを含む家族とともに赴任しました。
 
それぞれの主人公は1960年代初め、
そのプラハの学校で同級生になった人達です。
同じ学校に通いましたが、皆さん理論誌編集員の子供たちで、
それぞれの人のお父さんは各国共産党のエリートでした。
 
しかしその後、
ソ連崩壊もありみんなチリジリになってしまいます。
そして米原万理さんは、
2000年その友だち達のその後を訪ね歩きました。
これはその時のエッセイです。
 
それぞれ内容が面白く、また考えもさせられたのですが、
一番心に残ったことは、
35年以上ぶりにあっても、みんな異口同音に
「マーリ、本当にマーリなの」と言っていたことです。
 
私はそれを読んだとき、この人は、
チェコの学校で一所懸命に生きていた。
皆、それが分っていたと思いました。
 
++++++++
<この本の構成
 
この本の構成は、次の通りです。( )内はページ数です。
 
-はじめに (16ページ)
-1.モスクワ大学哲学部(26ページ)
-2.アフガニスタン帰還兵アルベルト(71ページ)
-3.閉鎖核秘密都市の女子学生(72ページ)
 
-4.ソ連科学アカデミー民族学研究所(72ページ)
-5.エトノクラチヤ(23ページ)
-6.バクー事件(25ページ)
-7.主権宣言(23ページ)
 
-8.境界線上の人間(24ページ)
-9.もう一度マルクスへ(24ページ)
-あとがき (7ページ)
-プーチン論 甦った帝国主義の本性(67ページ)
 
佐藤優さんが、
どのようにしてロシアでの人脈を拡げていったかが、
この本を読んで少し分りました。
佐藤さん流の日本のためという観点もあったようですが、
ご縁のあった人を大事にする精神が、
人脈を拡げる基本になったと思います。
 
それと同志社大学神学部の2階に
神学部の学生がたむろしていた
「アザーワールドという部屋」があるらしいですが、
そこで同じ学生等と議論しあって出来上がった
神学の知識が、ロシアが求めていたものと一致したのです。
 
それと佐藤さんの人間に対する親切心があいまって、
ロシアに佐藤さんはフィットしました。
それが分ります。
 
ソ連が崩壊し、今プーチンがロシアに君臨しています。
ソ連が崩壊したとき、ロシアは10年から20年後、
ユーラシア主義に基づくファシストの党
になるだろうと、セリージャは言いました。
 
新しいファシストの党は、
イタリアのムッソリーニが作った、
ファシストの党から進歩し、
新しいファシストでは戦争は抑止されているだろうが、
という注釈つきで。
 
セリージャは、
ソ連科学アカデミー民族研究所の若き副所長です。
親しくなった佐藤優さんから、
崩壊後のロシアの動向を聞かれてそう言いました。
まったくそのように推移しています。
 
ユーラシア主義は、ロシアがヨーロッパとアジアに
またがるユーラシア大陸を基盤としていることから、
その地政学的位置を踏まえて
ロシアの世界におけるポジショニングを
作っていくというものです。
 
プーチンは、世界の帝国センターを、
アメリカ、西欧、中国、日本、
それにロシアの5つに置いており、
そこからロシアのポジショニングを考えています。
 
今、アメリカ、西欧から、中国、日本に
世界の中心が移り始めました。
そこにロシアをどう位置づけるかが、
プーチンの長期的戦略のベースです。
 
プーチンはそこにロシアのいる場所があるはずだ、
地政学的なロシアの位置から
作れるはずだと思っているのでしょう。
アメリカ主導のTPPにも、
プーチンは注視しているようです。
 
アメリカと日本が主導して、
環太平洋の経済圏ができるなら、
それは中国に対して、
良い牽制になると考えているのでしょう。
 
プーチンは保護貿易主義を、
帝国主要国の首脳としては、初めて
可能な限り抑えなければならないとしながらも、
やるしかないと宣言しました。
プーチンは次のように言っています。
 
「日本の基本的な貿易・経済の相手国である
米国のやっていることを聞いて、見てみなさい。
私が理解するところでは、『アメリカ製品だけを買え』
という法律が採択されているはずだ。
事実上すべての国において、
市場を閉ざす措置がとられている・・・」。
 
それが事実でしょう。
だから、この変化の時代において、
自分のとるべき道は自分の頭で考えて行きなさいと、
愛国者の佐藤優さんは日本人、
特に今の学生達に言っています。
 
そしてロシアのプーチンを支えている、
ロシアの30代後半の官僚は、
佐藤さんがモスクワ大学で教えた学生たちになりました。
 
++++++++
<はじめに>
 
沢山のことが書いてありますが、
私の印象に残ったことだけを以下に引用します。
今の日本の学生に、
自分のことより国家のためと考える人は
どれほど居るのでしょうか。
 
――私は教師として、
優れた学生達に恵まれたことを感謝するとともに、
空恐ろしさを感じた。
 
私の学生時代と比較しても、
熾烈な競争試験に勝って外務省に入って、
現在、モスクワで研修している研修生たちと比較しても、
この劣悪な環境で勉強しているロシア人学生達の
吸収力と洞察力、応用力は優れているのだ。
 
そして、ロシア国家にとって
有為な人材になりたいと心底思っている。
 
モスクワ大学に入学する以前の
初等・中等教育の時点で成績が卓越していたものたちは、
自己の能力を国家のために使うべきであるという
「高貴な義務(ノブレス・オブリージュ)」を
叩き込まれているのだ。
 
ソ連帝国は自壊したが、ロシアがいずれ甦り、
怪物のような帝国になるのではないかという恐れを抱いた。
 
++++++++
<モスクワ大学哲学部>
 
佐藤優さんは、外務省の研修生として、
モスクワ大学で学びましたが、
逆に199295日からここの哲学部で
「プロテスタント神学」を教えることになりました。
これが、佐藤優さんがロシア人脈を
拡げることに繋がったと思います。
 
何故西側の外交官が、
エリート学生の集まりである
モスクワ大学で教えることになったかと言うと、
そこには偶然の積み重なりがありました。
 
ロシアでペレストロイカが進んだこと。
ロシアの学者に
プロテスタント神学を学んだものが居なかったこと。
そして何よりも、佐藤優さんを先生に推薦した、
ポポフ助教授が、佐藤優さんを信頼したからだと思います。
 
あのロシアが自信をなくしていたとき、
佐藤さんに白羽の矢が立てられました。
外交官ですから、日本の大使館への根回しもしましたが、
それも完了して3年間教壇にたちました。
 
++++++++
<アフガニスタン帰還兵アルベルト>
 
アフガニスタンへのソ連侵攻は、
ソ連兵にとっても悲劇でした。
以下に、ソ連兵としてアフガニスタンに行き、
帰ってきて特別枠でモスクワ大学に来た、
アルベルトの言葉を引用します。
 
私など戦争を知らないものが、
余計な解釈はしないほうが良いと思いますので。
 
――アンドレイ・サハロフ(19211989)は
物理学者で、・・・「ソ連水爆の父」といわれる。・・・
1960代後半から、平和運動に精力的に取組むサハロフと
ソ連指導部の軋轢が強まり始めた。・・
 
1989年の春・・サハロフ代議員が
アフガニスタンでソ連軍の武装ヘリコプターが
友軍兵士を銃撃し、皆殺しにしたと告発した。
ソ連軍幹部は、事実無根であると激しく反発した。
 
「佐藤先生、
サハロフ・アカデミー会員が言ったことは本当です。
ただサハロフは本当の意味を理解していない。
あれは戦友たちへの愛なんです。」
 
「愛だって? どういうことだ。意味が分からない」
「ソ連兵の乗った装甲車や兵員輸送車が
アフガンゲリラに捕まえられてしまうことがあります。
捕虜になった将兵は文字通り
身体を切り刻まれて惨殺される。・・・
 
できるだけ苦しみを長引かせて、殺すんです。
生きて還ることは絶対にできない。
それだから、このようなリンチの現場を見つけると
ソ連軍の武装ヘリが機関銃やミサイルを撃ち込んで、
戦友たちを早く楽にしてあげるのです。」
 
「・・・・」
「ヘリコプターの操縦士は泣きながら撃つんですよ。
それが戦友たちを楽にしてあげることができる
現実的な唯一の方策だから」・・・
 
+++++++++
<閉鎖核秘密都市の女子学生>
 
佐藤優さんが、
自分が出来る範囲の節度をもった範囲ですが、
献身的にモスクワ大学の学生達に
何かをしてあげたいという気持ちで、
やったのが良く分ります。
 
私は夢中で読んでいました。
こんなこともあったのか。
そう思いました。
ソ連の経済破綻は悲劇を沢山作りましたが、
これもその一つと思います。
 
++++++++
<ソ連科学アカデミー民族学研究所>
 
日本大使館に勤めるロシア人秘書たちに、
佐藤優さんはソ連科学アカデミー民族学研究所への
出会いの取次ぎを頼みました。
どうせ無理だろうと思ってお願いしたのですが、
研究所の所長、副所長たちに会うことができます。
 
研究所のほうも、日本の大使館から会いたいと
言ってくるなんて、と会ってみたのでした。
このなかで若い副所長のセリージャとは、
その後ロシアに事件が起こるたびに、
議論する仲になります。
 
ソ連は多民族国家ですから
(ロシアでもそうです)、
民族問題は大きな問題なのですね。
セリージャはエリート学者だと思います。
 
今は亡き糸川英夫教授が、民族工学研究所を作ったモデルが
こんなところにあったのが、分かりました。
糸川英夫さんは、世界中を見てこれは必要と思うと、
研究所も作ってしまう人なのですね。
 
糸川英夫さんの民族研究は、
ベドウインの2法則とかで有名ですが、
ロシアの方が広く学者をあつめ、
具体的問題を扱っているような気がしました。
民族学研究所はロシア政治とも近いところにいるようです。
 
++++++++
<エトノクラチヤ>
 
セリージャはエトノクラチヤが問題と言いました。
ここにエトノクラチャのことが沢山説明されていますが、
結局私は理解できません。
民族主義者(人種主義とも近いようです)の
ことかと思いますが、次に説明の一部を引用します。
 
――「一言で言うとエスニック集団が、
政治、経済、文化のすべての領域を支配しようとする動きだ」
「ナショナリズムと同じ動きなのか」
「ナショナリズムが煮詰まったものと思う」
 
――「例えば、民族間結婚で
リトアニア人とロシア人の間に生まれた男がいるとする。
ナショナリズムの世界ならば、
この男がリトアニア人という自己意識をもって活動しても、
ロシア人という意識を持って活動しても、特に問題はない。
 
しかし、エトノクラチャの世界では
『ゲームのルール』が違う」・・・
「エトノクラチヤが始まると、
自己意識よりも血筋が問われる。
従って、リトアニア人とロシア人の血が混交していると
エリートのポストを得ることができない」
 
――エトノクラチヤを目指す運動は、
「草の根の民衆の代表」という表象をとるが、
実際はそうではない。
 
ソ連社会での中で、エリートではあるが、
中の上ぐらいの場所を占めていて、実際の政治運営、
企業経営にあたっているのではない中堅エリートが、
ペレストロイカによる社会の流動化を背景に
トップエリートの地位を掴もうとするのが、
エトノクラチヤを目指す運動の主体である。
 
++++++++
<バクー事件>
 
バクーはアゼルバイジャンの首都。
アゼルバイジャンはカスピ海の西岸にある国で、
もとはソ連でした。
ここには石油が出るので、注目されています。
イラン、アルメニアと国境を接しいろいろな問題が錯綜し、
私らには良く分りません。
 
この本を読んで分ったことは、
アゼルバイジャンは基本的にイスラム教徒が多い。
しかしこの国の西側にあるナゴルノ・カラバコフ自治州は、
アルメニア人が半数以上住み、
アルメニア人はユニー教会に属しています。
 
ユニー教会はカトリックとロシア正教の
妥協の産物にも見えますが、形式はロシア正教、
心はカトリックと言えば良いのでしょうか。
これが、アルメニアとアゼルバイジャンの対立を生み、
そこに隣接する、ロシアやイランが
自分の国への影響を心配する構図となりました。
 
良く分りませんが、裁きに入ったソ連軍の態度が、
アゼルバイジャン人の心を踏みにじったとして、
これがソ連崩壊につながります。
民族学研究所のセリージャの問題になります。
私は、結局良く分りませんでした。
 
++++++++
<主権宣言>
 
この主権宣言は、リトアニア、エストニア、ラトビアの
バルト三国が、ソ連から離脱し
主権宣言がなされたものが書かれています。
この宣言文の意味等をめぐって、佐藤優さんは、
セリージャと頻繁に意見交換をしました。
私にはその意味するところが正確には分かりません。
 
++++++++
<境界線上の人間>
 
ここではグルジアで起こった事件が扱われています。
オセアチアなどが出てきました。
読んだ時は分ったつもりでも、
あとで考えるとちっとも分っていない。
そんな私の理解になりました。
 
このとき佐藤優さんは、
民族学研究所のコーカサス部に頻繁に行っています。
境界線上の人間というのは、
民族学研究所のコーカサス部の部長アルチューノフ先生が、
佐藤優さんについて言いました。
 
アルチューノフ先生も、
父親がアルメニア人、母親がロシア人、育ちはグルジアで、
世の中を広く民族の拘りはあまりなく考えられます。
 
佐藤優さんも母親は、沖縄久米島の出身で、
比較的日本的拘りから脱して、
広く世の中を見えるようでした。
つまり二人とも、境界線上の人間というわけです。
 
++++++++
<もう一度マルクスへ>
 
ソ連が崩壊し、セリージャから佐藤優さんは頼まれます。
次の引用のように。
 
――「モスクワ大学の学生達を助けてやって欲しい。
マサルのことだから、経済面では学生たちの・・・
僕が頼みたいのはそのことだけでなく、
講義の内容についてだ」・・・
 
「今日ここで話したマルクスの話をして欲しい。
初期マルクスの疎外論の話、
日本人独自の『資本論』の読み解きについてだ」・・・
「学生達には、マルクスの著作を紐解いてみたいという
意欲をもたせれば十分だ。
 
今日マサルが僕にした話を大学でもしてもらえば、
学生達は知的好奇心を持つ」・・・
「ファシズムに対する耐性をつけるためには
知的訓練が必要だ。
その意味でマルクスの知的遺産が重要だ」
 
++++++++
<あとがき>
 
佐藤さんのロシア時代の感想が、書かれていました。
その一部を引用して私の読書感想文を終わります。
しかし、ソ連崩壊の混乱期を耐え忍んだ人達の
ハングリー精神は凄い。
日本も去年の津波と原発事故で、
このようにならなければと思った読書になりました。
 
――私は「君たちはロシアの愛国者となれ。
そのためにプロテンタント神学の知識が必要だ。
なぜなら、プロテスタント神学を押さえておけば、
欧米人の思考が分るからだ。
 
そして欧米人の内在的論理をつかんで、
それに対抗できるロシアを作るのだ」と
強調して授業を行なった。・・
あくまでもロシアの大地に足をおろした、
土着のインテリを養成することを真剣に考えていた。
 
――本書に登場したモスクワ大学のポポフ助教授、
ピノクローフ専任講師、民俗学研究所のチシュコフ所長、
チェシュコ副所長(セリージャのこと)は異口同音に
「マサルはロシアの少数民族出身の教師みたいだ。
外国人とは思えない」と言っていた。

0 件のコメント:

コメントを投稿