2019年12月1日日曜日

12/1日 9:55 半藤一利さんの「昭和史」を読み終わった。断片的には聞いた話ばかりだが、一貫して読めたのは良かった。

12/1日 9:55 半藤一利さんの「昭和史」を読み終わった。
断片的には聞いた話ばかりだが、一貫して読めたのは良かった。
写真は読んだ文庫本の「昭和史」の表紙を撮ったもの。
半藤さんは先祖は長岡藩士で1930年向島でうまれた。
東大から文芸春秋に行き、そこでもまれ2004年の昭和史となった。

読んだので、短く読書感想文を書いてみる。
長岡か、長岡と言えば山本五十六も長岡だな。
私の父親も新潟・水原の生まれなので父は山本五十六は好きだった。
田中角栄も好きだった。
峠の河合継之助と、米百俵の小林虎三郎のことは知らなかった。

昭和前半といえば戦争のことだと思うが、渦中に父親もいたので、
どうしても父親から聞いたことで私の昭和史は出来上がっている。
父親は衛生兵として南京に行ったが、大虐殺のことは話さなかった。
ただ私が山本七平の「空気の研究」を読んでいたときに父親も見て、
「南京大虐殺はなかったんだと思う」と言っていたのが印象深い。
山本七平は「南京虐殺の話は嘘だ」と空気の研究に書いていたのだ。

父親は南京に行ったときのことを少し話していた。
「揚子江は大きかったな。対岸が見えない。海みたいだった。」
「捕まえようとノロ(鹿)を囲んだが、ノロは頭をかすめて逃げた」
「豚を一頭つぶしてみんなで食べたが、食っても食ってもあった。」
「中国人はマンマンデイと言う。のんびりやろうという意味だ」

南京城入場のことは言わなかったが、
そうか父親は南京に行ったのかと思った。
父親の両親は満州で警察署にいたが、父親が小さいとき
相次いで死んでしまった。父親は新潟で祖父といたようだが。
それで高等小学校を出るとすぐ丁稚奉公で料理屋に行った。

あおられやすい父親は、多分煽られたんだと思う。
そこから衛生兵を養成する軍隊に入り、南京に行ったようだ。
軍隊の写真は沢山見せられた。軍歌も良く歌っていた。
そういう普通の父親を見ていたので、そうか戦争中
半藤さんみたいに軍隊を斜めに見ていた人もいたんだと感心をした。

体系的に書いてあって、だいだい前半の昭和史は分った。
そういう意味では凄く参考になった。
そのとき父親は何歳だったんだと思って見た。
しかし読んで見て全体的にGHQ史観で書かれているなと思った。
人の善悪が戦争に勝った者の立場から書かれていると思った。

異説だが、1.米内光政はアメリカのスパイもしていた。
日本の暗号がアメリカに筒抜けだったのは米内光政のせい。
米内は日中戦争に日本が深入りするように会議で主導していた。
2.松岡洋右の著書はGHQによって焚書にされた。
松岡洋右は伝えられているほど先が読めない人ではなかった。

こういう異説をなかば信じている私がいる。
そういう私から見ると半藤さんの昭和史はオーソドックスすぎた。
しかしあとがきを読んで、それならわかるなと思った。
ノモンハンを書こうと取材していた司馬遼太郎を
文芸春秋の編集人として半藤さんがサポートしていたこを知った。

戦争時代の兵隊経験から司馬遼太郎さんは大本営は大嫌いだった。
あういう日本は日本の歴史にはなかった。醜悪だったとも書いて。
大本営を書くならノモンハンを書けばいいとして、
司馬遼太郎さんはノモンハンを調べ始めた。
それにお付き合いをした半藤さんも司馬さんの取材をそばで聞いた。

準備は出来たと思ったところに司馬さんは急に
「ノモンハンは書かない」と言い出した。
ノモンハンの生き残り、歩兵26連隊長だった須見さんに取材していた。
須見さんはその経験から大本営、参謀が嫌いになった。
その須見さんが私の話は聞かなかったことにしてくれと言って来たのです。

その手紙には「あなたは『文芸春秋』誌上で、瀬島隆三大本営
元参謀と実に仲良く話しておられる。国を誤った最大の責任者の一人と
仲良く話しておられるあなたは信用できない。・・・許せない」とありました。
瀬島さんにもいろいろな説がありますが、
こういう手紙を貰った司馬さんはノモンハンを書くのを諦めたようです。

なるほどこういう司馬さんと半藤さんはおつきあいしたのだ。
だから大本営のバカさ加減を昭和史で書いているのだ。
それも傍証を固めるように。

話は変わりますが、山本七平さんと司馬遼太郎さんは。
それぞれの形で戦争を経験して来られたので、私は好きです。
その体験をエネルギー源としてもろもろの著作を書いた。
もう一度山本七平さんを読みたくなりました。
山本七平さんの本はある種難しいので。



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